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7年以上ずっと嫌いだった人が、最近そうでもなくなってきた話

会社に勤めていると、どうもウマが合わない人っていたりしますよね。

僕も例外ではなく、ずっと嫌いだった人がいました。

でも、

最近になって、前ほど嫌いじゃなくなってる事に気づいたんです。

7年以上もの間、ずっと嫌いだった人が、ですよ?

どうしてでしょう?

自分でもきちんと整理できていないのですが、それなりに整理できれば、同じように、職場内に嫌いな人、苦手な人がいて、困っているようなケースを解決できるかもしれません。

なので、今日はそれをちょっと整理してみようと思います。

 
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どう嫌いだったか

その方は、中途入社で入ってきたのですが、入社初日から直感的に合わないと感じた人でした。とにかく、あることないことよく喋るんです。しかも、全部自分の話です。こちらの話なんて聞いちゃいません。とにかく自分はこうだ、こんなに大変だ、こんなにがんばった、という話をマシンガンのように延々と話し続ける人。

もう口から生まれてきたんじゃないかってくらい喋るのですが、それは業務中であってもおかまいなしなんですよね。こちらは仕事をしたいのに話をやめてくれない。それなりに年配の方なので、無下にもできないというおまけ付き。とにかくも、相手のことなんてどうでもよくて、全て自分、自分の人。声も大きいので離れていても耳に入ってきて、どうにもこうにも落ち着きません。

っと、あまり書きすぎるのもなんなので、このへんにしておきますが、とにかく入社初日から生理的に受け付けない人だったんです。

そして、最初の印象どおり、僕は最近までその人がずっと苦手だったし、嫌いでした。

 

今はどう感じているのか

一言でいうと、それほど気にならなくなりました。

その方は相変わらずずっと喋り続けますし、相変わらず自分の事しか見えていません。話始めると、20〜30分くらい平気で話続けます。

でも、前ほど嫌いじゃなくなったんです。

嫌いかと言われると、やっぱりまだ嫌いですが、受容できるレベルが上がったような感じ。そして、もしかしたら全然気にならなくなるかもしれない、と思えてきた状態です。

無視して話をしていないわけでもありません。

殴り合いの喧嘩をして拳で会話したわけでもありません。

いろいろ悩みながら自分を変えようと試行錯誤しているうちに、気づいたらそうなってきていた。

いつからかは正確には分かりませんが、つい最近からなのは間違いありません。

僕は思考はどのように変わっていったんでしょう?

ちょっと長くなるのですが、順番に考えていきます。

 

話をするもの悪くない、と思いはじめた

今までは、業務中に無駄話をするものじゃないという気持ちを強く持っていました。もちろん多少の雑談はどこの会社でもあるでしょうからいいのですが、許せる範囲が厳しすぎたんです。

業務時間内は可能な限り「お金を生む行動」をするべきだという思いが強すぎて、自分でも気づかないうちにかなり厳しい考え方になってしまっていた。そのせいで、楽しそうにお喋りしている人を見たときに、「お金を生まない事をいつまでやっているんだ」という否定的な見方をしていたのです。

でも、冷静になって考えると、みんながお喋りもしないで仕事に没頭していたら、オフィスがシーンとなってしまいます。ただキーボードを打つ音だけが響くオフィスなんて、異様ですよね。

なにより楽しくない。

シーンとしたオフィスで、ピリピリ、ギスギスと仕事をするよりも、多少賑やかなほうが仕事がはかどるじゃないか。日中のほとんどを過ごす職場の中で、楽しく過ごせないなんて、人生損しています。

若かりし頃はいつも感じていた事なのですけれどもね。

歳をとっていくうちに忘れてしまっていました。

会話自体、直接的な利益は生まないけれども、それで楽しく仕事ができるのであれば必要なことなんですよね。

 

仕事をしないで、ひたすら喋っているのはいいのか?

さて、僕が嫌いだった人の話に戻ります。

その方をマシンガンさんと呼ぶことにします。

業務中のちょっとしたお喋りは、さっきの振り返りで受容できました。でも、マシンガンさんはお喋りの範疇を超えて、ひたすら喋っていることも多々あります。

これは受け入れられるのか?

はい、いつの間にか受け入れられるようになってました。

以前の僕なら、「少しなら許せるけど、さすがに長時間喋りすぎだ。」と感じてしまったでしょう。

今はどうかというと、「あの人はこの場を明るくする事に一役かっているのだから、喋っていてもいいのだ。」と思います。

マシンガンさんのように、ずっと喋り続けて場を明るくするのは僕にはできません。それをやってくれている。そういう思考になったからこそ、受け入れられるのだと思います。まぁ、会社としては「お金になる仕事」をやっていないわけですから褒められた行動ではないのですが、その行動を僕が正す必要なんてないのです。

変に正義感ぶって、あの人は間違っているから正さねば、とか、

あの人のせいでみんな迷惑しているから、自分が言わねば、とか、

そんな事は考える必要はない。

会社にとって本当に不利益な人間なのであれば、会社から、それ相応の評価をされるだけです。

困っている人がいるならば、困っている本人が解決すればいいのです。

僕が評価して、僕の考え方にあわさせようとするなんて、一体自分は何様なのかという話です。

こういった行動を改めてもらう事も必要だったりしますが、やるにしても別の手段があるということなのです。

 

そうは言っても

ここまでの文章を読んだ方は、こう思うかもしれません。

『あなたはそう考えられたのね。それは良かった。でも、自分はそうは考えられないよ。』

はい、すいません、そのとおりです。

とりあえず、書いてみたものの、まずは結果だけを書いたようなカタチになってしまいました。

他の人にも参考になるような内容にするには、僕がこのように考えるようになった背景やら、経緯やら、もう少し細かく整理する必要がありそうです。

 

あとがき

“まよい犬

僕自身も、まだ考え方を完全に切り替えられたわけではなく、「もしかしたら自分が望んでいる方向に変えられるかも。」という段階ではあるのですが、自分でも少しずつ変化を感じるようにはなってきたんですよね。なので、もう少し頭の中を整理すれば、多少なりとも参考になる事を伝えられるかもしれないと思っています。

長くなってしまったので、今日のところはここまで。