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おもしろいことを言える人に憧れる気持ちは、いくつになってもくすぶって残ってます。

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今日は、愚痴というか、ないものねだりなお話です。

話がおもしろい人っているじゃないですか。 何気ない普段の会話の中で、気の利いたことを言える人。 ネタを仕込んで準備して笑わせるんじゃなくて、会話の中でその場で思いついたことで笑いを作れる人。 そういう人に対して、僕は凄い憧れがあります。

芸人さんで言うと分かりやすいですかね。まぁ、一線で活躍している人たちは全員そうなんですが。 ベテラン勢だと、さんまさん、ダウンタウン、さまぁ~ず、とかとか。

いやいや、そんな選ばれた人たちじゃないな。

もっと身近にいる人たち。

日常会話でセンスが光る会話ができる人っているんですよね。 なんつーか、表現力が違うというか。 いや、それもちょっと違うな。 言葉遊びが上手いってことかな。 それとも語彙の違いなのかな。

僕の場合は、仕事で覚えたクセというか、いかに簡潔に短い言葉で分かりやすく伝えるか、を極めようとしているところがあって。 そんなことをやり続けているうちに、話す言葉に「おもしろみ」がなくなってしまってるわけです。 会話を楽しむ気持ちが減ってしまった感じ。 言葉のキャッチボールを楽しむことが減ってきてしまった。

そうは言っても、僕は若い頃からバラエティ番組が大好きで、「ごっつええ感じ」で育ってきた世代です。 自分でおもしろい事は言えなくても、目だけ(耳だけ?)は肥えてたりして。 自分で見てきた芸人さんたちの言動をパクって、たまには人を笑わせたりはできます。

そういう部分を切り取ると、「おもしろい人だ」と言われることがあるのだけれど。

違うんだ。

ちょっと違うんだ。

オリジナルじゃないからね。あくまでパクリ。感性から湧き出してきた言葉じゃなくて、経験から引き出された模造品というか。 完全オリジナルなんて、そうそうないとは思いますが。誰しも真似から入るとは思いますが。 例えるならば、トーク番組で生き残れる芸人と、ネタだけの一発屋で終わる芸人の違いのような。

まぁ、この歳になると、自分はそこまでおもしろいことは言えないんだと自覚はしているのですが、憧れだけは未だに消えずに残り続けています。 おもしろい人を盛り立てて脇役に徹しようという思いの片隅に、自分のオリジナルな言葉で笑いをとりたいという確かな思いがあったりして。

僕がたまに狙ったような記事を書くのは、このへんが顔を出すからなんです。
亀のように。
ヒョコッとね。

おもしろくなる必要はないというのも考え方としてあるけど。本も読んだけれど。

 
それでも、憧れは憧れであるのです。

あるんだから、しょうがない。

そんな愚痴でございました。

自分が見えてるようで見えてなくて、諦めたつもりでも諦めてなくて、そんなくすぶった気持ちを抱えながらも、

その部分をナデナデしてイキていこうと思います。

 

 
っと、これで締めようと思ったんだけれど。

ここまで書いて、ふと思った。

憧れてるのはおもしろさよりも、表現力かもしれない。

トークが上手い人は、良い文章をたくさん読んでいて、それを読んでいろんなことを感じて、更に表現力も養われて、それが美しく感じてるのかも。

 

あとがき

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自分で書いてて、最後のが一番しっくりきた。

そっか。

そういえば、ずっとビジネス書ばかり読んでました。

小説も読みだせばおもしろいんだよ。

もっと小説を読もっと。